遠い約束


また会おう、と彼は言った。また、会おう。この熊野で。

涙に潤んだ勝気な瞳。きゅっとへの字にゆがんだ唇。明朗快活な少年の見せる、初めての表情。彼が今、自分との別れを惜しんでくれているのだと思うと、胸がじんと熱くなった。

うん、と頷くと、彼は念を押すように続けた。約束だぞ、絶対だぞ、と。

自分の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていてくれた彼。
それは遠い、遠い約束――。







敦盛の朝は早い。朝日が昇る少し前、誰もがまだ眠りについている時分にこっそりと寝床を抜け出し、清らかな空気をたっぷりと吸い込む。己の身を苛(さいな)む痛みを鎮めるために。

宿の庭先で何度か深呼吸をしたあと、敦盛は縁側に腰を下した。いつもならここで自室に引き返すところだが、今日はこのままもう少し風に当たっていたかった。

今朝方見た夢が、どうしても脳裏を離れない。

――また会おう。

あの日、別れ際に交わしたあどけない約束。あの約束が今になって果たされることになろうとは、夢にも思っていなかった。

――また、会おう。この熊野で。

ここは熊野。最強の水軍と謳われる熊野水軍の本拠地。
平家にとっては縁の深いこの地で、敦盛は幼少の砌(みぎり)を過ごした。懐かしい熊野の土を踏むのは、実に8年ぶりである。
九郎が頼朝の命を受け、白龍の神子とその一同共々、熊野別当率いる水軍の協力を仰ぐために熊野入りをしたのは、つい先日のこと。別当と直談するために本宮へと向かった折、敦盛は幼なじみのヒノエと再会した。

さらりと吹き抜ける夏風のように、颯爽と神子の前に姿を表したヒノエ。
熊野別当に就任したと聞いていたが、ヒノエはヒノエのままだった。一目で彼だとわかった。くせの強い赤毛も、不敵に輝く双眸も、変わっていない。自由で、奔放で……あの日の面影を色濃く残している。

声をかけようとした。しかし、寸でのところで思いとどまった。――8年。決して短くはない歳月。ヒノエは、自分のことを覚えていてくれているだろうか。自分のことを、わかってくれるだろうか。

『ひさしぶりだな、敦盛』

後方でもじもじしているうちに、ヒノエは敦盛に気がついたようだった。にっと、飾り気のない笑みを浮かべる。

『なに隠れてるんだよ?』

再会を祝う抱擁も、互いを懐かしむ科白もなかった。それでもかまわなかった。
今生ではもう二度と会えぬと思った親友(とも)と、こうして言葉を交わすことができたのだから。

ああ、と敦盛は心から安堵した。
ヒノエだけは変わらずにいてくれて、本当によかったと。

「……相変わらずだな、敦盛」

突如名を呼ばれ、はっと目を見開く。

「おまえ、オレのこと変わってないって言ったけどさ。おまえだって全然変わってないんだな。朝、馬鹿みたいに早くてさ」

ふわり、と。奥まった庭木から華奢な影がひとつ、優美に舞い降りてきた。

「よう」
「ヒノエ……!」

突然の来客に驚き、思わず声を上げそうになるも、慌てて口を手で覆ってそれを阻止する。ヒノエが指先を唇にあてがったからだ。どうやら、自分の訪問を内密にしておきたいらしい。

「どうして、」

一拍分の間を置いてから、敦盛は改めて尋ねた。慎重に、声を潜めながら。

「この前会ったときは、ちゃんとあいさつできなかっただろ?」

ぱちん、と片目をひとつ器用につむる。姫君が目覚める前にお暇(いとま)しなきゃならないから、あまり長居はできないけどな、と前置きをしてから、ヒノエは敦盛の隣に座った。

「ひさしぶりだな。こうして二人で話すのも」
「そうだな……」

頷いて、静かにヒノエの横顔を見やる。次の瞬間、敦盛は言葉を失った。ヒノエの面持ちが、あまりにも真摯だったからだ。

「ヒノエ?」
「……元気そうで、安心した」

ぼそりと消え入りそうな声でつぶやくと、ヒノエはゆっくりと敦盛のほうに顔を向けた。なんとなく決まり悪そうに、ほんのりと頬を赤らめている。

「いや、なんだ。ずいぶん長い間、往き来がなかっただろ?どうしているのかと、ずっと気にかかっていた。息災でいてくれればそれでいいと思っていたけど、――まさか源氏方にいるなんて、な」

まったくだ、と敦盛は苦笑を禁じ得なかった。末席とはいえ、平清盛の系譜に連なる武将が源氏に加担するなど、にわかに想像しがたい。

「先の戦で負傷した私を、神子が介抱してくれたんだ」
「神子って……あの勇ましい源氏の神子姫のことかい?」
「ああ。源氏の陣で処断されそうになった私を、神子は庇護してくれた。そればかりではなく、源氏の敵(かたき)である私を、『仲間』と……」

敦盛は、己の手のひらで淡く光る宝玉を見やった。この小さな石が、自分の存在を肯定してくれている。神子を護るために、今、ここに在るのだと。

「今度は私が、神子を助力したいと思う。怨霊を救うことは、私の願いでもあるから」
「そのために、源氏に?」
「ああ。神子が私を信じてくれたように、私も神子を信じたい」

敦盛がそう言うと、ヒノエはふうん、と感心した様子で相槌を打った。とっておきの悪戯を思いついた子どものような顔で、実に楽しそうに敦盛を見つめている。

「なんだ?」
「いや。おまえも男なんだなあって安心しただけさ」
「どういうことだ」
「だっておまえ、相当あの姫君に惚れ込んでるだろ。まあ、わからなくもないけどな」
「なっ……!」

衝撃のあまり、頭の中が真っ白になる。そんなことを言っては神子に失礼だろうとか、私はおまえとは違うとか、反論したいことは次々と脳裏に浮かんではくるが、いずれも言葉にならない。ぱくぱくと、金魚のように口を盛んに開閉するだけだ。

ヒノエはしばらくそんな敦盛の様子を面白そうに眺めていたが、ややあって真顔に戻った。

「……けどな、敦盛。揺さぶりをかけるつもりは毛頭ないが、おまえ、本当にそれでいいのか。源氏方につくということは、一族を敵に回すってことだ。清盛だけじゃない、おまえの兄貴だって――」

ずきり、と胸に痛みが走る。わかっている。神子の手を取ったあの夜から、覚悟はしていた。源氏に組するということは、平家を見限るということ。それは伯父である清盛や最愛の兄経正との訣別をも意味する。
当に覚悟を決めているつもりだった。なにもかもを承知の上で選び取った運命のはずだった。それなのに、……今の自分はヒノエの問いかけを前に、こんなにも揺れている。

――だけど。

「どうなんだ、敦盛」

押し黙った自分を、ヒノエは容赦なく攻め立てる。相手の射抜くような眼差しから片時も眼を逸らさずに、敦盛は淡々と答えた。

「……心配ない。私は、自分の意思でここにいる」

たとえ一門に背いてでも、神子とともに怨霊を浄化したいと願ったのはほかでもない自分だ。自分とてはしくれとはいえ武門の子、己の信念を弱さゆえに覆す真似だけはしたくない。

「一族を、……平家を止めるために、ここにいるんだ」
「そうか」

やれやれと小さく首を振ると、ヒノエは表情を緩めた。

「おまえがそう決めたんなら、オレはもうなにも言わないよ」

空を仰ぐと、朝焼けが空を柔らかく染めていた。もうすぐ日が昇る。新しい一日が、はじまる。

「――そろそろ時間かな」

ヒノエはやおら腰を上げ、奥まった庭木に向かってすたすたと歩みを進めた。このまま、天人のように軽やかに姿を消すのだろう――そう思った矢先に、ヒノエはふいに庭の真ん中で立ち止まった。そのまま敦盛、とかすれた声で自分の名を口にする。

「……オレはまだ、決めかねている」

背中をこちらに向けたまま、独白にも似た調子で語りかける。

「八葉という役目を引き受けるかどうかは、もう少し様子を見てから判断させてもらうよ」

姫君に、オレがここに来たことは伝えないでくれと念を押したのち、ヒノエはくるりと振り返った。視線と視線がぶつかる。

「なあ、敦盛」
「なんだ」
「約束、覚えているか。8年前の」

――また、会おう。この熊野で。

「会えて、嬉しかった」

敦盛が口を開くより先に、ヒノエが照れくさそうに言った。

「全然変わってないと思ったけど、おまえ、大分男を上げたな。見直したぜ?」
「い、いやその、私は――」
「そう遠くないうちにまた会おう、敦盛。今度は酒でも飲もうぜ。積もる話はそれまでお預けだ」

あ――。

新しい約束をひとつ残して、ヒノエは軽々と庭木を登っていった。瞬く間に、姿が見えなくなる。

「ヒノエ!」

神子たちが眠っていることなど忘れて、敦盛はありったけの声で叫んだ。この声が、親友(とも)に届くようにと。

「私も嬉しかった。君に会えて、嬉しかった――!」

木の葉が、自分の声に呼応するようかのように微かに揺れた気が、した。







「おはようございます、敦盛さん。今日も早いですね」

いつものように譲に叩き起こされた神子が、白龍を伴って部屋から出てきた。朝には滅法弱いらしく、寝ぼけ眼(まなこ)をこしこしとこすっている。

「おはよう、神子」

ヒノエが去ってからもずっと縁側に座り続けていた敦盛は、ようやく立ち上がった。神子が目覚めたということは、まもなく朝餉の時間だ。彼女の希望で、食事はなるべく全員で取ることになっている。

敦盛の横を通り過ぎる際、神子があれ、と声を出して立ち止まった。まじまじと、敦盛の顔を覗き込む。

「み、神子?」
「敦盛さん、なにかいいことありましたか?」
「え?」

一瞬、なにを言われたのかわからず、きょとんとする。余程間の抜けた顔をしていたのだろう、神子はだって、と満面に笑みをたたえて続けた。

「敦盛さん、とっても嬉しそうな顔してるから」




――約束は今も、胸のうちに、深く。

written 01.09.2005


【 敦盛DEあみだ 】No.67 約束

【 敦盛DEあみだ * No.67 約束 】


敦盛DEあみだ】に出展した作品。
「約束」というすてきなお題をいただきました。

あれこれ考えた結果、このような形に落ち着きました。
本編の再会があまりにもあっさりしていたので、妄想でカバー。

敦盛視点で書いているので特に触れていませんが、
あの情報通の熊野別当さまのこと。
敦盛の正体も知っていたのではないかと思います。

……ちなみに。

展示ver.で敦盛が熊野を離れたのは「10年前」となっていますが、
コチラでは「8年前」となっています。
まさか『十六夜記』でこそりと表記されているとはね……。



T O P