厳島。
が龍神の神子として、最後の務めを果たした場所。……そして、大切なひとを失った、場所。
この世界を、共に戦った仲間を、……を、護るために。敦盛は清盛が残した最後の呪詛にひとり飛び込み――消えた。なにひとつ、痕跡を残さずに。
敦盛がいなくなって、は打ちひしがれた。本当に哀しいときには、涙など流れないということを身をもって知った。その衝撃と哀しみの大きさに、心も身体も麻痺してしまうということを。
まるで、生きた屍。かつて黒龍を失った朔の気持ちが、今になって痛いほどわかった。心を凍らせようとしていた彼女に向かって、叱咤した自分。それがどれだけ残酷なことだったか。朔の哀しみの深さを改めて知った今、あのときと同じ科白は二度と口にはできないと思った。
もう、いない。敦盛はどこにもいない。
まるで、心にぽっかりと穴が空いてしまったようだった。
敦盛の顔が、声が、そっと合わせた手のひらのあたたかさが、ただただ色鮮やかに甦る。他にはなにも考えられない。……考えたく、なかった。
それでも。
厳島から京に戻ったあと、はすぐさま厳島に舞戻った。誰にもなにも告げずに、たったひとりで。反対されることは目に見えていたから。
敦盛が、自分を待っている――そんな気がして仕方がなかった。
『逃げちゃいけない。あきらめちゃ、いけない』
黒龍への想いを断ち切れずにいた朔に言ったことば。
自分は、敦盛の生死を知らない。
もう、この世のどこにもいないのかもしれない。だけど、もしかしたら、どこかで生きているかもしれない。
探しにいくんだ。あきらめるのは、まだ早い――。
答えを得るのは、怖い。
だけど同じ哀しみを胸に抱くのなら、せめて後悔だけはしたくなかった。
何度も何度も、は敦盛を見失った厳島神社に、その舞台に足を運んだ。
持ち前の度胸とタフさも手伝って、ひとりでもどうにかなった。もう、怨霊もいない。敦盛が護った世界は、穏やかで平和であった。満ち足りていた。ただ――敦盛ひとりだけが、欠けている。
厳島に上陸して、何日目のことだっただろうか。
いつものように厳島神社へとやってきたは、砂利道でやや大きめの石に足を掬われた。あわててバランスを取ろうとしたが間に合わず、そのまま前のめりに倒れる。ばらばらと、砂利が散らばる音が続いた。
「ったた……もう、なにやってるんだろう、わたし」
恥ずかしいやら情けないやらで顔を真っ赤にしながら、すぐさま立ち上がって服に付着した土ぼこりを手早く払う。
ちりん
小さな鈴が、涼やかな音色を残して着物の袖口から零れた。
「……あ」
せわしなく動いていた手を休め、転がった鈴を拾い上げると、はいとおしそうにそれを握り締めた。そっと、口づける。
あの日、屋島の戦の後に買った鈴。敦盛とおそろいの鈴。ずっと、肌身離さず持っていた。
「……わたし」
ひやりとした鈴の感触が、どこか物悲しい。
敦盛がはにかみながら手渡してくれたのが、まるで昨日のようだった。切なさに胸がいっぱいになる。
「わたし、白龍の逆鱗の力を借りて元の世界に戻ったとき、自分の無力さを呪った。みんなを、……敦盛さんを、護れなかったって」
白龍に託された逆鱗によってもとの世界に還された、あのとき。
の脳裏に真っ先に浮かんだのは、燃え盛る京の都でも安否の知れない仲間たちでも、消えてしまった白龍でもなく、敦盛の寂しげな横顔だった。
神子と呼ばれた少女を駆り立てたのは、たった一人の男への想い。
「逆鱗を手にして、時空を跳べるようになって、……なんでもできる気になっていたのかな……結局、護られてばかりだった」
この手で救いたかったひとは、あの日、清盛の残した怨念にひとり立ち向かっていった。
そのとき、敦盛が浮かべた微笑が今も脳裏から離れない。
――また、あなたを、護れなかった。
「誓ったのに。京を、みんなを、あなたを、今度こそ護ってみせるって……あなたを幸せにするって、逆鱗に誓ったのに……そのための力を得ても、わたしは無力だ……!」
ぎゅっと、鈴を握る手に力を込める。望みが叶うという、福の鈴。あの日の願いは、まだ叶えられていない。叶えて、いない。
「……敦盛さん。敦盛さん、敦盛さん、……敦盛さん……っ!」
あなたに伝えていないことがまだ、あるのに。たくさん、あるのに。
鈴に、祈った。ただ一心に、祈った。
どうか、奇跡を。あの日の願いを今、叶えてほしいと。
どれだけの間、そこに立ち尽くしていたのだろう。
遠くで、自分を呼ぶ声がした。
……こ、……神子……。
懐かしい声。ずっとずっと、聞きたいと願った声。
はっと、はじかれたように顔を上げた。夢だろうか。幻、だろうか。それとも――。
「あつ、もり、さん……?」
恐る恐る、辺りを見回る。過剰な期待はしないようにと自分に言い聞かせる。もう、落胆はしたくない。それでも、はやる気持ちを抑えることはできなかった。
「敦盛さん……?」
「――神子」
慈愛に満ちた紫紺の瞳を捉えたとき、の視界は涙で柔らかくにじんだ。
風のようにの目の前から姿を消し、再び舞い戻ってきた敦盛。
喜びは大きかった。しかし、不安もまた、同じくらい大きかった。
いつか……いつかまた、敦盛は自分のもとから去ってしまうかもしれない。そんな漠然とした恐怖が、の胸の中で渦巻いていた。
眠るのが、怖い。心地よい眠りから目覚めたとき、あのひとがいなくなっているかもしれないから。
すべてが「優しい夢」で終わってしまうのが、ひどく怖い。
叶えられなかった誓い。鈴にかけた、願い。
運命の前ではすべてが、儚く脆く崩れてしまうのだろうか――。